最初と最後の間で/泳いではぐれた風/時間の約束
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ブルース・フィンク
『ラカン派精神分析入門―理論と技法』
訳=中西之信、椿田貴史、舟木徹男、信友建志
誠信書房、2008年
永井荷風
『摘録 断腸亭日乗 下』岩波文庫、1987年
岩間暁子、大和礼子、田間泰子
『問いからはじめる家族社会学―多様化する家族の包摂に向けて』
有斐閣、2015年
木戸秋岳渡
『うつくしいこと』テキスト、2023年
ジーン・シャープ
『独裁体制から民主主義へ 権力に対抗するための教科書』
瀧口範子訳、筑摩書房、2012年
与謝野晶子
『愛・理性及び勇気』講談社、1993
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光は風だという。
ひとは、どこへ行くのかわからないから、
互いに無言のまま、演劇は繰り返される、
この部屋の憲法第十四条は沈黙したまま、
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2024年01月11日戸塚 愛美
舟と櫂
新緑の季節が過ぎ、湿った梅雨の匂いがする。霧のような雨の中で、雫が葉に留まろうとする。
WALLA Boardでは記事が時系列でなく乱数に従って表示されるらしく、空間が再構成されるたびに私たちは同じ文章でも新しい発見ができるのかもしれない。永久にそこに漂っているように見えるウェブ空間もまた、実は地層のように堆積して過去は見えなくなったりするもので、過去の記事やブログの持つ古物感、Backを何回も押すことで私たちがアクセスすることのできるそのページは時代の薄らとした空気感が積み重なり、見えない埃を纏っている。
ここではそれらが無重力空間を揺蕩うようにタイムラインに縛られずに目前に現れたり隠れたりすることが、煉瓦の隙間から芽吹く新芽のように健全な新陳代謝を感じさせる。
この文章が果たしてどの隙間に出るようになるのかは分からないけれど、いつの時代もまだ時候の挨拶に変わりのないことに少し安心する。
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oar pressという出版レーベルを数ヶ月前に始めた。
作家と一緒に本を作るレーベルで、oarはオールと読み、ボートの櫂(かい)を意味する。
元々は主たる舟である作家をサポートする、あくまで櫂のような存在になりたいという意味合いだったのが、舟を漕ぐのに必要な櫂はいつも2本で、互いに持っている櫂で二人三脚をするという意味にとってもらうことも多く有り難く思う。
詩人の茨木のり子が『櫂』を立ち上げたのは27歳の時で、大岡信や谷川俊太郎らも関わったこの同人誌は活動自体はそこまで長くは続かなかったものの、お互いを認め合いながら同時代の作家同士が発表できる場を形成し、その後にも影響を残している。
場という、人と人との間が持つ作用を、私もまた重要だと思う。
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なぜ今、本なのか?という問いがあれば、一番は記録性ということがわかりやすいかもしれない。
何ヶ月もかけて準備した展覧会も会期が終われば消えて無くなり、その展示にアクセスできるのはその会場を訪れた限られた数の鑑賞者だけ。どれだけ練られた展覧会や作家の仕事も、誰かが体系的に書き留めなければ歴史から抜け落ちてしまう。
電子的な記録の将来的な担保のされ方は不透明で更新が必須である一方で、紙の記録は古代から長く記録を残すために特化してきた息の長い安定した媒体として知られている。
10年後、100年後に作品を残していく、また風化しながらも1000年後に残る可能性を考えれば、留めるためのシェルターとして本という場も有用だ。
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展覧会とは何だろうと思う。今、デジタル空間が公共的な誰もが出入りすることのできるスペースとなり、例えばセス・ジーゲローブがゼロックス・ブックを制作したのとは異なる地平で、実空間に存在していることに依拠しない展覧会も増えている。
そこに発される作家の思考とアイデアとに魅了されながら、実在も曖昧になるなかでもそれを眼差すことができるとしても、全ての作品が電子上のバーチャルになるわけでは決してない。
本という場所は、バーチャルでありながら、物質性を持つ家である。展覧会も作品もそこに住うことができる。そして複製された家々は同質のまま持ち運ばれて、また誰かの家の本棚に仕舞われる。遠い場所まで届く時間と空間のカプセルは個人の生活に忍び込み、それに寄り添うように作品と向き合えるとしたら、その速度も深さも今の美術にとって必要ではないかとも思う。
本の空間とタイムラインを使った定型の中の遊びにも可能性があるだろうし、WALLA Boardがこのウェブ空間に乱数を持ち込むような視点で、遊び場のように本を作っていくことができれば、それは私の一つの喜びかもしれない。
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oarは、ウェブ上でレビュー連載も行っていて、ここでのレビューは批評というよりも、re-viewの通り丁寧に見直すことを主眼に、美術にまつわる書き手に様々な対象をレビューしたテキストを寄せてもらっている。オンラインの即時的に広範に伝達される性質にも頼りつつ、これらもいずれは紙の冊子になることも決まっている。
この連載企画(oar review)で、WALLAの共同運営のひとりである大石一貴さんによる「空白の味方」が今月より公開されている。隔月更新の予定で、ある地点とある地点の隙間を眼差した文章だ。
私がここで書いているのは、大石さんにその連載の話をしようとした時に大石さんからもWALLA Boardに何か書かないかと声をかけていただいたという不思議なシンクロがあったから。大石さんも出版物に強い関心があり、ローマ・パブリケーションズの話をしてくれた。
大石さんは文章を単体で書いて外で発表するのは初めてと言うものの、その視点の面白さは制作される彫刻作品ともリンクしていて、対象から発生した力(運動)が次第に視点を変えながら時間と空間を経て取り留めのないところで旋回するような、”空白”に目を向けた文章になっている。
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大石一貴「空白の味方」#1 https://oarpress.com/review/20220615/(2022年6月15日更新)
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また、oarの3冊目の本が今週出来上がるので紹介させてほしい。
『ドゥーリアの舟』という、私の友人でもある奥誠之の初めてのエッセイ作品集となる。
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奥誠之『ドゥーリアの舟』
2022年6月30日発行
寄稿執筆 大久保あり、西川日満里
デザイン 加納大輔
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東京の美術大学を卒業後、引込線などの現代美術の展覧会やイベントにも参加しつつ、彼はマルシェで絵を販売したり、デモに参加してプラカードを作ったり、読書会を開催したりしながら、絵画を基軸に生活と美術について独自の視点で活動を続けている。
先月には谷中で、アイリス・マリオン・ヤングの『House and Home : Feminist Variations on a Theme』(『家と家庭ーあるテーマについてのフェミニズムの様々なあり方』)を軸に、暮らしにおける芸術の居場所をテーマとしたグループ展を企画して、彼自身も久々に作品を展示していた。
近年は小さなパネルやカセットテープサイズの絵画など、形態としても生活に寄り添う作品を制作していて、今回の作品集ではその実寸に近い絵が言葉の間に現れる。
17篇のエッセイで綴られるのは、絵と自身の関わり、社会の中で移動していく絵画、生活と絵との交わりについて。
美術との関係に逡巡しながら、行く先々の人や本との出逢いから少しずつ変わっていく様子に、これから絵と関わりたいと思う人、制作に悩む人、自分の思う美術と社会とのずれを感じる人は、共感や希望を見出せるかもしれない。
タイトルにある「舟」は、文中にも引かれる石牟礼道子の詩に由来するもので、ここでは舟は人を指す。苦しみを越えて、舟が空や海を悠々とわたっていく様子に、作者は背中を押されて前に進んでいく。けれども本を通して読めば、彼は石牟礼道子の言葉だけでなく、過去から現在にかけて存在してきた様々な表現や存在に背中を押されていることがわかる。
水面に浮かぶ舟の一つ一つ、それらは別の道を示してくれる櫂なのかもしれない。
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2022.06.27
2022年07月03日見目 はる香
雑談会考:たまには人間になる
「Twitterにはフォントがないからな」とある知り合いが憂いていた。たしかにタイムラインに流れてくるメッセージは当たり前のように同じフォントで表示されていて、「新しい服を買ったこと」も「暇を伝えること」も「政権を批判すること」も、みんな同じ形をもたされている。主題はまったく異なるのに筆触や筆致がまったく同じ絵画を見ているようなものだろうか。そこにはその人らしさの入り込む余地はほとんど残されていない。このフォントの画一性。Twitterのやりづらさの原因はそのあたりにあるのかもしれない。
ZOOM雑談会は、Twitterに蔓延するこの窮屈さを少しだけ和らげるリラクゼーションの試みである。東京に緊急事態宣言の発令された5月にみんなが何を思っているのか、人の話が聴きたくて始めたオンライン会話である。実際にはTwitterで開始の数時間前に告知して、初対面の方も含めた数名の方とZOOMを使って、いろいろお話しする。内容は雑談とは謡いつつも、昨今の社会問題や人生相談について、短くても3時間、長い時は10時間以上に渡って、まじめな話をしていることが多い。
最初はなんとなく始めたのだけど、見知らぬ人々と計300時間近く雑談をしてくると、自分が何をしたいのかが分かるようになってきた。要するに、私はZOOM雑談会を使って、ありえたかもしれないTwitterを作ってみたかったのだ。雑談会ではフォントの代わりに「声」というもう一つの身体性の現れが、参加者のその人らしさを仮にでも伝えてくれるからである。今日のTwitterは「さえずり」と言いながら、声が届かない場所になってしまっていたのだ。
と思っていたところ、建てない建築家の坂口恭平が新刊『苦しいときは電話して』で同じことを書いていて共感した。彼がライフワークとする、いのちの電話ならぬ「いのっちの電話」で何を聞いているかといえば、死にたいと電話をしてくる相手の「声」だという。同じ「死にたい」でも声に寄って、その意味は大きく異なるからだ。声優ならまだしも、素人は自分の声を偽るのは難しい。それゆえに、その人間の死との近さは会話の内容よりもさきに、声という隠し切れない身体の震えによって分かるというわけだ。坂口の脳内には膨大な声のアーカイブがこだましている。人間のその人らしさを証言する身体の痕跡の集積したアーカイブが。
これは人間との会話を取り戻すという活動だと言い換えてもいいだろう。なぜなら、いまや、人間のコミュニケーション自体がbot化しているし、もっといえば、botよりもbotらしいツイートを人間がしている状況があるからだ。それに例えば、ここまでのこの文章を書いている、この私。著者である南島という人物がbotでないことを証明することは難しい。それでも、あなたは私を人間だと思って、この文章を読んでいる。しかし、本当に私は、そしてあなたは人間なのだろうか?こうした疑いは今日、まったくSFではなくなっている。それはAIに代表されるテクノロジーの発達と普及によるものだけではなく、すでに述べたように人間自体のbot化によって実感できることでもある。
では、人間とは何であろうか。ここではきっぱりと「矛盾」に満ちている者だと定義してみよう。Twitterでは見つかるや否や、断罪されてしまうそれは、唯一人間に最後に残された人間らしさの条件であろう。だから、人間かもしれないことを確かめるためにこの矛盾を受け入れるための場が必要になる。それが「雑談会」である。Twitterではかき消されてしまう、何かに賛成したけれど、反対したけれど、その「けれど」のあとにつづくその人なりの躊躇いを拾い上げ、共有してみる場。ちょっとした音声の遅れのあとにZOOMから聞こえてくる、その人の「声」はそうした躊躇いにその人らしい形を与えて、私に伝えてくれる。
声を聴くというのは、内容はあまりシリアスに聞きすぎないということでもある。つまり、話し手の側には前言撤回=「なんちゃって」が許される。不思議なことだけれども、こうしたコミュニケーションの方が、結局のところ、まじめ話をしやすくなったりする。Twitterでは人はまじめな構えでまじめな話をしなければならなくなっているが、そこで起きるのは、まじめな話ではなく、決まり切った意見の応酬か個人的なフラストレーションの発散のどちらかである。だから、ZOOM雑談会での発見は、人は雑談という構えを通してまじめな話ができる、というものであった。そうでなければ、人は本質的に他人とまじめな話はできないのではないか。
ありえたかもしれないTwitterとは、その人のさえずる声に共鳴することで、中身に関しては「なんちゃって」と話を翻すことができる会話の形式、すなわち雑談的空間である。その中で、はじめて人間は人間らしい矛盾を許容され、愉しくまじめな話ができる。そして人は人間らしさとともに、会話らしきものを取り戻せる。身体の痕跡としての声に導かれ、私たちはもう一度、その人らしい人間になることができるのだ。私たちが慣れ親しむTwitterという非人間的な世界のすぐ横で。
追記 : 本稿が執筆されたのは去年の10月頃ですが、それ以降、世界や僕個人の生活にも様々な出来事が起き、その影響でZOOM雑談会への考え方にも変化がありました。ですので、その変化については、いずれ書けたらと思っています。
2021年02月26日南島 興
LOVEマシーンに乗って
パンデミック後の世界で、困難に直面した人類がなにをするべきなのか。問題を解決するためには、想像力が欠かせない。 未来を想像することはいついかなる時も、人類の生存率を上げてきた。それでも、想像するだけでは生き残れない。私たちは愛し合うことで繁栄するのだ。LOVEマシーンは、私たちにどんな未来を見せてくれたのか。
モーニング娘。『LOVEマシーン』 (MV) https://youtu.be/6A7j6eryPV4
慰めのエレクトリックピアノから始まるイントロは、心なしかユートピアの夕暮れを思い浮かべさせる。 コーラス隊の歌声は、恋愛革命に疲弊した戦士達に捧げる賛歌のようだ。 ミラーボール星から来たと称するダンス☆マン(*1)の編曲も相まり、陽気なディスコチューンとしてリリースされたモーニング娘。の「LOVEマシーン」は21世紀の到来を目前に控えた日本国民の耳をジャックした。
リリースから20年経った今でも、「明るい未来に就職希望」したいと考える日本の若者は大勢いる。また「どんなに不景気だって恋はインフレーション」といった歌詞は、まるで現在を見通した予言書のようだ。
日本における求愛行動の歴史は、古くから『万葉集』をはじめとした和歌や文学に始まり、ラブレターやポケベル、出会い系サイト、マッチングアプリと形態を変えてきた。不倫騒動ばかりを報道する民放に愛想を尽かすかのように、視聴者の需要はお茶の間のテレビからインターネットと動画配信による個別の仮想空間へと遷移していった。 そして、インターネットの普及によってグローバリズムが世界を覆い尽くした頃、人類に新型のウイルスが追い討ちをかけてきた。リモートで完結する表面的なつながりでは、信頼関係が築けているとどうしても錯覚してしまう。私たちは、つながっているようで実はつながっていないことがわかってしまったのだ。
人との距離が物理的に遮られると、それに伴い愛し合う機会も失われ始める。 接吻は疎か、汝は隣人を愛しづらくなってしまったのだ。
シルバーのアルミニウムで飾られた「LOVEマシーン」のアートワーク。機内で撮影されたかのようなCG合成のMVを見返すと「ザ・平成」の産物と言わんばかりのギャルっぽさとゼロ年代ならではのレトロフューチャー臭が漂っている。 これらは、ダンス☆マンも個人名義でカバーしているようにクラシックソウルの雄であるEarth Wind&Fire(*2)の影響が大きいだろう。彼らの音楽にはエジプト学や形而上学と言ったスピリチュアル要素が背景にある。後にアフロフューチャリズム(*3)と呼称されることからもわかるように、世界観を理解するうえで未来的なイメージは欠かせないのだ。1950年~1970年にかけて「宇宙」や「未来」を主題にしたソウル/ファンクの楽曲が数多くリリースされてきた。じつは、アメリカがソ連と宇宙開発競争で躍起になっていた時期とほぼ重なる。EW&F以降、ソウル/ファンクを起点とするアーティストとしてJamiroquaiやDaft punkが数々のヒット曲を生み出す。彼らの近未来的なヴィジュアルからも、その系譜を受け継いでいることがよくわかる。 この流れを後押ししたであろう日本人がいた。モーリス・ホワイト(EW&Fのバンドリーダー)が直々に依頼したイラストレーター、長岡秀星(*4)である。1977年にリリースされた『太陽神』(『All’N All』)や1979年の『黙示録』(『I am』)など、数々のアートワークを描いている。宇宙船や銀河惑星を色鮮やかなグラデーションで描く彼の作風からは、当時のSF的な想像力を感じ取ることができる。1967年に大阪万博の仕事で生計をたてていた長岡は、1970年3月31日に渡米する。(皮肉にも「よど号ハイジャック事件(*5)」が起こった日でもある)
アーティストが表現するうえで未来を語ることは大切なことだ。アメリカの音楽史が示すように、ミンストレル・ショー(*6)からはじまり、昨今のBLM運動(*7)においてもアメリカの過去と未来を垣間見ることができる。流行の音楽がブルースやヒップホップに変わっても、道を切り拓くためにカウンターカルチャーと連動して、大衆を突き動かす原動力になるのだ。 「LOVEマシーン」はバブル崩壊で暗くなった日本の過去と、明るい未来へ愛を託す気持ちが融合し、誕生したダンスチューンである。爆発的なヒットに繋がったのもそうした時代背景が少なからず関係しているはずだ。
とはいえ、2021年の私たちを取り巻く環境では、晴々とした未来を想像しづらいのは確かだ。 疑心暗鬼になり人間不信に陥ってしまえば、誰かを愛することも困難になってしまう。先が見えない現実を目の当たりにすると、恋心で現実は到底変わるとは思えないかもしれない。 それでも、過去のヒット曲「LOVEマシーン」に耳を傾けてみると、胸を打つ言葉が語りかけてくる。
「恋をしようじゃないか」
「Dance!Dancin' all of the night」
その歌詞は恋焦がれて恋に破れ続けては、何度もタイムリープを繰り返すSFそのものだ。誰かの手のひらで踊らされないように、自らの意志で踊りたい。
LOVEマシーンに乗って、新しい時代を愛する機会がすぐそこまで来ている。
*1──モーニング娘。に留まらずハロー!プロジェクトの楽曲など、アレンジャーとして数多くの編曲を手がける。「恋愛レボリューション」や「ザ☆ピース!」など。アニメ版『ケロロ軍曹』では楽曲提供だけでなく本人役としても登場している。
*2──アフリカ系アメリカ人で構成されたクラシックソウルバンド。アフリカン・ミュージックとスピリチュアルな理想主義の融合が特徴。代表曲「September」は Youtubeで4.5億回(2020/10現在)再生されるほど、今も昔も愛されている。Earth, Wind & Fire - September (Official Video) https://youtu.be/Gs069dndIYk
*3──批評家マーク・デリーが1993年の『サウス・アトランティック・クォータリー』誌の「サイバーカルチャー特集」に寄稿した文中での発言に基づく。アフリカ系アメリカ人こそが「宇宙人/よそ者によって誘拐されたものの子孫」であり「サイエンス・フィクション的な悪夢を生きる」存在であると記している。
*4──1936年長崎生まれ、疎開先の壱岐島で過ごす。2015年6月23日に逝去。渡米から50年を記念して回顧展が2020年12月8日(火)~27日(日)より、代官山ヒルサイドフォーラムにて開催された。(詳細:https://www.bsfuji.tv/shusei_nagaoka/)
*5──日本における最初のハイジャック事件。赤軍派を名乗る犯人グループが福岡空港と韓国の金浦国際空港での2回の着陸を経たあと、北朝鮮へ亡命する。人質は 解放されたが、現在も北朝鮮からTwitterを更新している。(@yobo_yodo 何でもアリ!?よど号のyobo-yodo)
*6──19世紀半ばにアメリカではじまった大衆芸能。顔を黒塗りにした演者が歌や踊りをコントを通して披露するもの。近年では「ガキの使い!大晦日年越しSP絶 対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!(2017年放送)」にて、ダウンタウンの浜田雅功がエディー・マーフィに扮して、肌を黒く塗ったことで炎上したのが記憶に新しい。
*7──Black Lives Matter自体は2013年にSNSで発信された投稿がきっかけとされている。日本ではジョージ・フロイド氏の事件が報道されたことで耳にする人も多 いだろう。この問題はアメリカ合衆国の歴史を紐解くうえで切っても切れない課題だ。BLMに関連したヒップホップミュージックを通じて、現代のアメリカに触れるキッカケになれば幸いです。
Kendrick Lamar - Alright https://www.youtube.com/watch?v=JaOd3ttzkJs
POP SMOKE - DIOR https://www.youtube.com/watch?v=oorVWW9ywG0
2021年03月26日A8Chang